勢場ヶ原の戦い [ツーリング]

さ・・・寒い・・・
ネ・・・ネタが無い・・・
ちゅうことで、去年の蔵出しネタを綴ります(* ̄▽ ̄*)ノ"


天文3年(1534年)4月6日の事・・・


現在の大分県杵築市山香町山浦付近にて戦いの火蓋が切って落とされた!!


勢場ヶ原の戦い(せいばがはるのたたかい)


それは中国地方の大名大内義隆(おおうち よしたか)と豊後の大名大友義鑑(おおとも よしあき)との間で
行われた北九州の政権をかけた合戦だった。


陶興房(すえ おきふさ)・杉重信(すぎ しげのぶ)を将として、3000余騎の軍勢を率いた
大内義隆(おおうち よしたか)


対する大友義鑑(おおとも よしあき)は
吉弘氏直(よしひろ うじなお)、寒田親将(そうだ ちかかど)を大将とし、
約2800騎の軍勢で、大村山(おおむれやま)にて大内軍の迎撃体制を整える事にした!!


中国地方から攻め込んできた大内軍は地形の情報に乏しく解りやすい街道を使い、正面から
攻めてくるであろう。
と、思っていた大友軍。


大内軍は地元近隣の間者(かんじゃ=スパイ)を敵の大友方に送り込み、大友軍の背後を取るルートを選択。
さらには送り込んだ間者を使い、大友軍に正面から攻撃を開始するとの誤報を流させた。

決戦!!


(BGMは映画ラスト侍よりSafe Passage)

天文3年(1534年)4月6日早朝


豊前(北九州方面)から豊後(大分方面)へ。
米神山の西麓を通る佐田越えの悪路をこっそり進軍していた
大内軍は大友軍が陣取っている大村山(おおむれやま)の麓、勢場ヶ原(せいばがはら)に到着!
まったく予期しなかった背後を取られる格好となた大友軍は、


「敵軍天より下れり!!」


と、仰天、混乱した。


この状況を打開しようと大友軍の武将、広瀬裕則(ひろせ やすのり)は
大村山より豊前方面に位置する立石・地蔵の両峠に展開する兵を呼び戻し、坂落しで敵を蹴散らそう!
と、大将の吉弘氏直(よしひろ うじなお)に進言するも
若干19歳の血気盛んな吉弘氏直は


「敵が寄せるのを見て猶予(ゆうよ=躊躇、ぐずぐず、ためらい)するのは豊後武士の名折れに候わん!」
と提案を却下。
敵陣目掛けて突撃した!!


大将の吉弘氏直を先頭につづく大友軍!!
陣形はいつしか『雁行の陣(がんこうのじん)』
(雁が群れなして飛んでる様子を形にした陣形。消耗戦に弱く、長時間の戦闘では不利となる。)となり


大内軍の待ち受ける『鶴翼の陣(かくよくのじん)』
(鶴が羽を広げた時の形の陣形。中心に大将を配置し、両翼の間に敵が入ってくると同時に
両翼を閉じることによって包囲・せん滅することが目的の陣形である。)へと突っ込んでゆく!!


大内軍は両翼から取り囲むように迫り、やがて壮絶なまでの矢の撃ち合いに展開する!!


その最中、吉弘氏直の乗る馬に矢が命中。
400kgを超える馬はどっかりと倒れてしまう。
コレを見た大内勢はチャンスとばかりに吉弘氏直目掛けて矢を一斉に発射。
雨の様に降り注いだ矢は若干19歳の総大将の身体を無数に突き刺さった!


氏直と共に勢場ヶ原に展開する大内陣に飛び込んでいた広瀬裕則(ひろせ やすのり)は
その様子を目の当たりにし、馬から飛び降り氏直を背負って救出しようとした。
しかし、非情にも武将広瀬裕則(ひろせ やすのり)も敵の矢の餌食となり戦死。


大村山より勢場ヶ原へ下り氏直らと戦っていた大将寒田親将(そうだ ちかかど)は
『大将の首を取らすな!!』と槍で奮戦!!
大将各の杉重信(すぎ しげのぶ)を討ち取るも寒田親将(そうだ ちかかど)も戦死してしまう。


緒戦で大きな戦果を挙げた大内軍は凱歌を上げて一息入れた。


弔い合戦
一方その頃。
氏直戦死の知らせを聞いた立石峠、地蔵峠の2部隊も勢場ヶ原に急ぎ、
「田北、木付、志手、野原氏勢場ヶ原に馳せ参じ1800の軍勢が参戦。


「弔い合戦」と称し反撃。午前11時頃より各地で奇襲、急襲を繰り返した。
彼らのほとんどが地元出身なこともあり、大内軍を翻弄した。


緒戦の勝利に油断をしていた大内軍は対抗できず、すぐに大敗。
大将陶興房(すえ おきふさ)が負傷し、大内軍は豊後高田へと退却し、周防山口へと撤退を余儀なくされた。


勝敗


結果、大友軍のゲリラ戦で大内軍は撤退したが、双方大将を二名失い、本陣が壊れていた事から
軍事的には引き分けと言う結果に終わっている。


この戦いののち、大友大内間の大規模な衝突はなくなり、
和平が実現すると二国間での衝突自体もほぼなくなった。
その後、大内義隆が陶隆房(陶晴賢)に討たれる(大寧寺の変)と、大友氏が一挙に勢力を伸ばし、
また一時大内についていた龍造寺氏が独立したことで大内は北九州での勢力をほとんど失い、
これによって北九州の覇権は大友氏が獲得した。


現在


馬・・・ではなくバイクに跨り勢場ヶ原(ぜいばがはる)を走る=*^-^*=
く!栗でこける!!.JPG
季節が秋だったので濡れた路面に転がる栗で転ばないかビビリながらのライディング(>▽<;;

(BGMは映画ラスト侍よりRed Warrior)



勢場ヶ原の戦いで総大将を務めた吉弘氏直の家系は代々豊後国の大名『大友家』に仕え、
そして乱世に華々しく散り行く家系だった・・・。
Last_samuraiより.jpg
(ラスト侍より)


近くの神社.JPG
この神社の近くには、この戦いで勇ましくも志なかばで壮絶な死を遂げた杉長門守(すぎながのかみ)の
供養碑がある。


地元でははなぐり石と呼ばれる供養碑。
丸く穴の空いた様が牛の鼻輪の様だったからそう呼ばれている。
杉長門守の供養碑.JPG
豊後から遥か遠く周防国から運ばれた石材で建てられた敵方の供養碑。
牙を剥き、極限までに爪を研ぎ澄ました猛将への敬意の現れなのかも知れない。


しかしながら、名も刻まれぬその墓標は豊後の民より破壊されぬようにとの願いと対策を込めたものだと言う。
現在の戦争よりも明確な大儀があったであろう戦にも、殺し合いの憎しみを感じさせる供養碑に
現代と未来の平和を祈るばかりである。
nice!(76)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 76

コメント 14

hatumi30331

ラストサムライ思い出した!
何とも雰囲気のある所・・・・
こういう所に来ると、何だかビンビン感じるものがあって、
好きなんやけど、ちょい苦手な私です。(笑)
ツーリング・・・スリップに注意やで〜〜!!
by hatumi30331 (2011-02-16 06:54) 

manamana

今は平和で、命がけの戦いが無くてよかったです。
by manamana (2011-02-16 07:07) 

yoshinorhythm

昔は、同じ人間。しかも同じ国の人間通しが血と血で争いながら
戦いを繰り広げていたんですよね。
無駄な争いだとは思うけど・・・。
でもその無駄と犠牲者のおかげで、今の日本があると考えると。
複雑です。^^;
by yoshinorhythm (2011-02-16 10:20) 

tsun

その辺りいろいろありそうで、ハイキングで“昔探検”なんて良さそうですね。
by tsun (2011-02-16 11:08) 

今造ROWINGTEAM

うおー。壮絶な戦い。。。
私は少し違いますが、最近あずみという漫画にはまっていて。
昔の壮絶な戦の様子を恐ろしく思ってしまいました。
絶対すぐ殺されてしまうだろうな、私。。

今はホント平和になったほうですよね。
テロとか暴動とかなくなればいいのになぁ。
世界平和を願います。

★ねね★
by 今造ROWINGTEAM (2011-02-16 11:54) 

Live

昔は今風に云うところの、内戦がありましたが、今は平和で何よりですよね。
やっぱり、日本は過去の不条理から今の平和があるんでしょうね。
by Live (2011-02-16 18:29) 

conta

まるで映画をみているようで、特に1曲目が終わった頃に2曲目が始まる繋がりが絶妙です。
by conta (2011-02-16 21:15) 

rtfk

う~ん!勉強になりました。
by rtfk (2011-02-17 15:56) 

未来

これまでにも色んな戦が有り、
その戦にかかわった人たちにも色んな思いが有り、
その思いとともに大地に消えて行ってしまったのでしょうね。

by 未来 (2011-02-18 10:27) 

susumu

山香町山浦付近は回りを山で囲まれた自然豊かなところですね。
古くは壇ノ浦の戦いで破れた平家の落人たちがこの辺りの
深い山奥へたどり着き、隠れ住んだといいます。
by susumu (2011-02-18 22:56) 

響

苔むした神社は雨ならではの雰囲気が出ていますね。
素敵です。
しかしこんな歴史は知りませんでした。
引き分けってあるんですね。

by (2011-02-20 13:36) 

吉之輔

こんばんは、ご訪問ナイス有難う、此れからも宜しくね。
あのような残酷な殺し合いが有ったのですね、

by 吉之輔 (2011-02-21 18:54) 

hayama55

ラストサムライ!
場面にぴったりの、いい写真ですね!
by hayama55 (2011-02-22 08:24) 

なまけもの

こんばんは
私のブログ、復活しました
またこれからもどうぞよろしくお願いします!
by なまけもの (2011-02-22 22:29) 

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。